2020.08.23
○○と○○は大違い。インファイト。
こんにちは⭐︎
いつもチリンを
ご利用いただき
誠に有難うございます。
先日
雨ぶろ読者であり
私と血の繋がりのある
25歳の若者と
2度目のZoom歓談で
熱く語りあった
チリン雨谷です。
前回のように
お互いの近況報告をしつつ
今回はパソコンを共有しての
プレゼン形式の展開もあり
彼の「本気度」を感じました。
過去の雨ぶろにも出てくる
「守・破・離(しゅはり)」と
「知好楽(ちこうらく)」
この二つを
まとめとして引用し
伝えました。
「古典や歴史にヒントがある。」
その上で、付け加えたのが
“「同」でなく「和」であれ”
これまた7年前の夏にも
ご紹介した
竹田恒泰氏の著書
「日本人の原点がわかる国体の授業」
から…
“日本建国の精神は
「和」だと説明しました。
この「和」は、
しばしば
「同」と混同されて
使われています。
皆さんには、
ぜひ「和」と「同」の違いを
正確に理解してもらいたいと思います。
〜中略〜
中国の孔子は
分かりやすく答えを述べています。
「和」とは
「自己の主体性を保ちながら他者と協調すること」
です。
一方で、
「同」のほうは一見、
「和」と近いように見えるけれども、
似て非なるものだといいます。
「同」とは
「自己の主体性を失い、他者と協調すること」
です。
他者と協調するという点では、
「和」も「同」も一緒です。
しかし、
自己の主体性を保ちながら協調することと、
主体性を失って協調することは、
大きな違いがあります。”
知らず知らず
「周りと同じ」
にしてはいないか?
「同じに安心」してないか?
「同じじゃない」を恐れていないか?
この
「和」と「同」の違いを
理解するとともに
共通しているのが
「協調する」
という点。
そこで重要な教えが
横浜で起業した書店
「有隣堂」の名前の
由来にもなっている
論語の
「徳は孤ならず、必ず隣有り」
“「孤」と「個」は違う。”
これも
Zoom歓談の際
強調して伝えたのですが
その際
うまく例を挙げられなくて
モヤモヤしていました。
しかし求めていると
不思議と引き寄せるもの。
一昨日
よい記事に出会いました。
“人の意見に耳を傾けずに
わがままを通すこと、
いろいろな人やものに
お世話になっていることを忘れて
周囲に迷惑をかけることなどは、
本当に個性?
人や社会、時間から切り離して
発揮する「こせい」は、
独創的とか想像的といった
個性ではなく、
独りよがりな「孤性」と
いえるかも知れません…”
伊勢雅臣氏の
「国際派日本人のためのお勧め記事切り抜き帳」
という
私のお気に入りのブログからの引用。
「和」と「同」
「個」と「孤」
どちらを習慣化するかで
人生、周囲、国家、世界
そして未来が決まると考えます。
「似ているもの」
に惑わされず
私自身
本質を追求したいですし
私より若い世代にも
伝えていきたいです。
今日のチリンな一曲⭐︎
以前もご紹介した
早稲田大学→リクルート
というキャリアの
ラッパー兼経営者
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)の一曲。
「絶対に外さない」DJ
WATARAI(ワタライ)のトラックに
惜しくも終了したTV番組
「フリースタイルダンジョン」の
面々がマイクリレー。
ラストのバース
番組で「隠れモンスター」
として登場し
健在ぶりを発揮した
ベテラン
ラッパ我リヤのラッパー
Mr.Qのリリック(歌詞)
“インファイト
打ち合うなら玉砕覚悟
嘘くさい奴ぁ好かんねー
ボクサーとボクササイズは大違い”
で始まり
“シャンパンとスパークリングワイン
差は歴然、確実な韻
ぶつくさ不平不満言ってる暇あんなら
切れねー、ゴールのテープは”
“カッケーかどうか、ダッセーかどうか、
ニつしかない、待ってな容赦
無しで上がってく成り上がり
一握りだけさ、かなりヤバい…”
特に、この
“カッケーかどうか、ダッセーかどうか”
は2018年から
手帳に書き記している
私自身のプリンシプル、
原理・原則です。
先ほどの
日本人としての「和」
社会人としての「個」
それに
男として「カッケーかどうか、ダッセーかどうか」
というスパイス。
ちなみに
インファイトとは
ボクシング用語で
「接近戦」を意味しますが
このコロナ禍は
様々な場面で距離を取らざるおえない
言わば
「アウトボクシング」
に徹さざるを得ない状況。
それでも
「いざ」というとき
リスクを承知で
相手の懐に
一歩踏み込む
「インファイト」
この精神も
常に忘れずに
狙い続けていきます。
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