2020.12.01
スカイ・イズ・ザ・リミット
こんばんは★
いつもチリンを
ご利用いただき
誠に有難うございます。
今年に入り
自分の好物が餃子であると
認識した
チリン雨谷です(笑)
昨夜の晩酌のお供も
餃子で
週に一度は
必ず欲しくなります。
まだまだ知らない自分ばかりで
発見があり楽しいです。
さて本日から
12月に入りましたが
今日も「読書の秋」に読んだ本から
アウトプットと共有を。
何度か登場した
「FUTURE SHOCK(フューチャーショック」
という
日本初のメジャーヒップホップレーベルの
元オーナーによる自伝的小説。
「ラッパーでもDJでもダンサーでもない僕の生きたヒップホップ」
このような本が発売されたと
Twitterで知り「衝撃」を受け
また、本の題名が
「スカイ・イズ・ザ・リミット」
と、おそらく
夭折の天才ラッパー
Notorious B.I.G(愛称ビギー)の
90年代の名盤から
サンプリングしたであろうことにも「衝撃」
そして偶然にも
そのビギーのSky’s the limitの
サビの部分を
今年の3月9日の
ビギーの命日に
自分の視座を高めるため
私は手帳に
書き記していました。
この偶然もさることながら
読者の方にしてみれば
私の字の汚さが
「衝撃」かも知れませんね(笑)
もちろん
本の中身の方も
「衝撃」の連続でして
筆者の1人である
市村康郎(ブルックリン・ヤス)氏が
1990年代前半
ニューヨークに留学中に出会った
ヒップホップという文化の
リアルな体験談から
日本でのレーベル設立、
そして解散までの話が主な内容。
作中
数多く出てきた
有名無名のアーティストより
私が「衝撃」を受けた
登場人物が
ブルックリン・ヤス氏にとって
唯一、恩師と呼べる
ハイスクール時代の
黒人の「美術の先生」
その
語りの一部を
ご紹介します…
“私はアメリカが日本と戦争をしている時に、
新聞配達のアルバイトをしていたんだよ。
〜中略〜
ある日、記事に目を通すと、
アメリカが太平洋の向こうにあるアジアで
戦争に介入していったと書いてあった。
その記事を目にした私は、
アフリカの大地を蹂躙し、
南米大陸を奴隷たちに開拓させ、
北米のインディアンから
何もかもを略奪してきた白人様が、
今度はチンギス・ハーンの
真似事まで始めたのかと、
子どもながらにも気の毒に思った。
ところが、
売り物の新聞記事を
毎日読み続けたところで、
何ヶ月経っても、
何年経っても、
戦争は終わらなかった。
恥ずかしながら、
私は新聞で
アメリカと日本が戦争をしている記事を
何年も目にしていたにもかかわらず、
日本という国がどこにあって、
どのくらいの大きさなのかということを
長いあいだ知らなかった。
私の家は貧しく、
世界地図はおろか、
聖書やコーランはもちろんのこと、
本と呼べるものが
一冊もなかったというのもある。”
“あれは確か、
新聞配達を終えて
帰路に着いた時のことだった。
私は街角で
インディアンと黒人の混血のような
見てくれの大人が、
ひょろりとした黒人の男と
地図を広げながら話をしているところに
偶然通りかかった。
彼らは
アメリカに降伏する気配もなく、
なおも戦い続けている日本が
こんなにも小さい国なのかと、
大きな声で話していた。
興味をそそられた私が
彼らの広げていた地図を覗き込むと、
そこにある日本は
アメリカのカリフォルニア州と
変わらない大きさしかなかった。
それまで私は、
世界でも有数の経済大国であるアメリカと
何年もかけて戦争を続けている
日本という国は、
さぞかし立派な大国に違いない
とばかり思い込んでいた。
驚いた私は思わず
地図を見せてくれた大人に対し、
『これが本当にアメリカに一歩も譲らず戦い続けている日本なのか』
と質問した。
『そうだよ坊や』と、
インディアンと黒人の混血の男は答えた。
『勇気をもらえるだろ』と、
もうひとりの黒人の男が
続けざまに言った。
その日からまもなくして戦争は終わった。”
また
ブルックリン・ヤス氏が
ニューヨークで知り合った友人は
こう話してくれたと
書かれてあります。
“これ(ヒップホップ)は
あくまでも
ブラックのカルチャーだ。
日本人のお前には
お前を育ててくれた
文化背景がある。
お互いが無理やりに
自分たちの世界観を
押し付けないところに
妙味があるんだ。
それぞれが
自分のバックグラウンドに
誇りを持ちながら、
多様性を理解して
お互いを尊重(リスペクト)し合うのが
この街の在り方だ。“
「人種のるつぼ」
ニューヨークという街の
まだ治安の悪かった90年代の話は
刺激にあふれています。
海外渡航に制限のある
このコロナ禍は
外から見る日本の現状や良さを
なかなか認識しづらいですが
「読書による旅」をし
想像するとまた
いろいろな気づきに出会えます。
ヒップホップ好きな方はもちろん
黒人文化やサブカルチャーに
興味のある方にも
オススメの一冊です^_^
今日のチリンな一曲⭐︎
OZROSAURUS – WHOOO
昨日ご紹介した
OZROSAURUSのROOLIN’045という曲と
同じアルバムに収録されている一曲。
この曲の制作秘話が
スカイ・イズ・ザ・リミットにも
ブルックリン・ヤス氏の回想として
出てきます。
“レコーディングに立ち会っていると、
ラッパーが覚醒する瞬間を
目の当たりにすることがある。
(OZROSAURUSのラッパーである)MACCHOの
それも、突然現れた。”
“MACCHOはスタジオの扉を開けると同時に
「たった今、第三京浜の上でやばいのが浮かんだんです」
と言いながらボーカルブースに
駆け込んでいった。”
“トラック(曲)の準備が整うと、
スタジオに設置された巨大なスピーカーから
イントロが鳴り響いた。
僕は目を瞑りながら耳をすましていた。”
“WHOOO Vibesは満タン“
“フック(サビ)を聴いた瞬間、
まだ制作途中だったアルバムに対する
僕の自信が確信に変わった。”
私が
このOZROSAURUSの
ファーストアルバムを
初めて聴いたのが
大学在学中に帰省して訪れた
地元・横浜ビブレ地下一階の
HMV(現・タワーレコード)
視聴コーナー。
当時22、3歳だった
天才ラッパーのMACCHOくんと
絶対音感の持ち主であるDJ TOMOくんという
横浜のホープ2人が
まだCDで音源が作られていた時代に
FUTURE SHOCKレーベルからリリースされ
全国各地へ
「045スタイル」という
横浜市の市外局番を掲げ
地元をレペゼンした名盤。
ブルックリン・ヤス氏の確信通り
「未来への衝撃」
となりました。
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